生活の中に溶け込んでいるクスリ
現代人であれば、たいていクスリを飲んだことはあるでしょう。
病院に行くと当たり前のように何かしら処方されますし、薬局で自由に買えるものもあります。
クスリの効果を謳うコマーシャルもたくさん目に入りますね。
クスリは普通に生活のなかに浸透していて、クスリを飲むということを疑問に思わなくなっているような気がします。
使わざるを得ないクスリ
自分が処方する立場になってずっと考え続けてきましたが、やはりクスリはやむを得ず必要となった場合にリスクを承知した上で使用するものと思います。
そうはいっても、現時点でそれが最も有効と考えられる、それ以外の治療方法が見つかっていない、知らない等の理由で、クスリを使わざるを得ない場合があるのが現状です。
死にそうな人や痛みでどうしようもなく苦しんでいる人を前にしては、クスリがあるなら使わないという選択肢はないでしょう。
私自身もほかに手段がないときには最小限で飲んでいますが、できるだけ使いたくないと思っているのでその理由について書いてみました。
クスリについての疑問 ―対症療法―
私自身クスリを使ってみて目的とする効果が得られた経験はもちろんあります。
一般的なところで頭痛薬・抗アレルギー薬ですが、ともかくいまの不快さを取り除きたいという“対症療法”としてでした。
理想を言えば原因を取り除くことが根本的な治療となるのですが、現実には多様な因子を含む原因に対処するのが困難なために対症療法に終始してしまうことが多々あり、ほとんどのクスリは対症療法でしかないとも言えます。
対症療法は続けなければいけない
対症療法で長期間クスリを使う場合には、やめたら元に戻るという問題が必ず生じます。
また症状が出るたびにクスリを使うことを繰り返していると、症状の悪化や効果の減弱をきたしたり、依存性を生じてしまうものもあります。
対症療法はあくまでもその場限りのものなのです。
クスリについての疑問 ―予防投与―
たとえばコレステロール降下剤は動脈硬化性疾患おもに狭心症・心筋梗塞の予防、骨粗鬆症のクスリは骨折の予防、それが処方の理由ですが、残念ながら100%完璧に予防できるわけではありません。
それでも標準治療ということになっています。
止め時のわからない予防投与
そして予防でクスリを使い始めると、実際にはいつまで使うべきなのか、止め時がわかりません。
一生通院してクスリを飲むでもいいと考える人もいるのでしょうが、不自然な気がしてなりません。
超高齢者となっても続けるべきなのか、正直なところもういいんじゃないかと感じることもありますが、そもそも病気になりたくないから予防しようとしたわけなので「やめて大丈夫?」というもっともな不安が生じてしまいます。
そして本音を言えば、予防は病院でなく自己責任でするもの、病気になりたくなければそのための努力を自らするのがいちばんいいと思うのです。
クスリについての疑問 ―単一作用・仮説―
たいていのクスリは細胞表面の受容体(レセプター)というタンパク質に結合することによって作用し、作用点としては1カ所です。
症状は複数、クスリの効果は1つ
病院でなぜこんなにたくさん処方されるのだろうと感じる人は多いと想像しますが、基本的にひとつのクスリにはひとつの作用しかないので、複数の症状に対応しようとすると何種類にもなってしまうのです。
しかし人間は非常に多くの複雑な因子を持っており、ある病態について単一の機序だけで説明できないものも多く、複数の要因が関与しているとしたらクスリを使うのはそのうちの1つをカバーしただけであり効果も限定的でしょう。
そして科学も医学も常に発展途上なので仕方のないことですが、病気のメカニズムについてはアルツハイマー型認知症のアミロイド仮説、うつ病のモノアミン仮説というように“仮説”で説明されており、今後の検証によって覆される可能性があるという意味ではほかの疾患についてもすべて仮説なのです。
リスクの大きなクスリもあるかもしれません
クスリも仮説にもとづいて設計されているのでじつは不確実なものなのですが、なにか絶対的なものとして扱われている気がします。
その不確実性を考えるとクスリによってはリスクの方が大きいのではないかと感じてしまうのです。
クスリについての疑問 ―統計って??―
クスリの有効性は臨床試験をやって統計的に認められたとされています。この統計というものが私には難解過ぎて困ります。
医学統計学に異議申し立てできるほど理解していない自分を省みずにあえて言えば、感覚的にピンとこないものがどうにも多いのです。
クスリが効く、効かないの判断とは?
たとえば「症状の進行抑制」に有効であるとされるクスリがありますが、どうやってそれを判断するのか、集団としてみるとそうだったとしてじっさいに服用した個人がそれを実感できるものでしょうか。
クスリを使った場合と使わなかった場合を同一個体で比較することは不可能なので、どちらを選択するか究極的には“賭け”の要素があるような気さえしてしまいます。
クスリという物質そのものの問題
―自分自身にも、環境にも―
基本的にクスリは毒になり得ると考えた方がいいです。
生薬由来のものであっても用量によっては毒になるし、最初の抗がん剤はマスタードガスという毒ガスから作られたというのは有名な話です。
クスリに必ずある副作用
現代の医薬品は有効性・安全性について臨床試験を行って承認されているわけですが、それでも添付文書には起こりうる副作用が何項目も書かれているし未知の副作用を有している可能性もあるのです。
クスリが病原体を強くしてしまうことも
そしてあまり意識することがないかもしれませんがクスリには服用する自分だけでは済まない面があり、長期的に重大な問題を生じると考えられています。
抗生物質や抗ウィルス剤は多用されることで必然的に耐性や変異を生じ、クスリの効かない病原体となって流行する可能性も警告されています。
クスリの自然界への影響
またクスリは最終的に身体から環境に排泄されることになるので、排泄されたあと生態系にも影響を与え、動物の生殖能力や細菌の分裂能への影響が危惧されています。
さらに開発・製造される過程でたくさんの動物が利用されている現実について、当然と考えたり目を背けたりしてはいけないと思います。
とくにわれわれ医療関係者がそのことに麻痺してしまっているのではないかと自戒を込めて思います。
クスリについての疑問
―何かが麻痺するのでは―
どうもクスリというものは、世の中に増えれば増えるほど、長期になればなるほど、何かを麻痺させてしまう気がしてなりません。
クスリなしでは治らないと思ってしまう?
自分の治癒力で治る病気もたくさんあるわけですが、クスリを使うことに慣れてしまうとクスリがなければ治らないような気持ちになってしまう。無力感が刷り込まれてしまうのではないでしょうか。
周りのみんなが降圧剤を飲んでいるし自分もそろそろかな、と言った患者さんがいましたが、そのように考えてしまうほど大勢がクスリを使っている社会は異常なのではないでしょうか。
たとえば食事の改善や運動をすすめられていても、そんなことするより毎朝1錠飲むだけで数値が安定するのであればそのほうが簡単でいいと考える人も多いかもしれません。
いったん落ち着いてしまうと往々にしてそのまま流されていってしまいます。
病気は健康と向き合うチャンスでもある
そもそも病気や不快な症状はその人へのなんらかのメッセージであり、それをきちんと把握するのは難しい場合もあるのですが、生活改善など自分に向き合うチャンスでもあるのです。
もちろん死にそうになっている人や痛みで苦しんでいる人にそんな余裕はないのでまずはその痛みをどうにかしてあげなければなりませんが、症状が取れてからも治ってよかったというだけでなく「喉元過ぎれば熱さを忘れる」になってしまわないように、常にその病気のバックグラウンドを考えなければならないと思うのです。
私は医療を仕事にしているので日々このようなことを考えているのですが、そうでなければ切羽詰まった状況にならない限りあまり考えることはないかもしれません。
苦しくなる前に、クスリとの向き合い方を考えてみましょう
人はほかにやらなければならないこと考えなければならないことが山ほどありますから。
みんな忙しい。それでも患者という立場になってしまったときには、自分はどうしたいか、クスリを飲むか飲まないか、おまかせでなく自分で決めてほしいと思っています。
患者さんが自分で決定することができるように、私の考えは主流派ではなく偏っているかもしれませんが、できるだけ公平な目で知り得る情報をお伝えするように努力したいと思います。
そして患者さんの希望をしっかり受けとめて尊重できる医師でありたいと考えています。
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